先日、有名タレントが暴力団との繋がりを理由に引退を表明しました。個人的には彼が引退することなんてどうでも良いことだと思いつつも世間は大騒ぎ。こういう意見を表明している人もうがった見方だと思っているだろうけど、他の重要ニュースを飛ばすためにこの報道がなされたんじゃないかとさえ言われるほど。
いや、そんな話をしたいのではなく、今回の報道を知った人たちが、「芸人なんてやくざと付き合ってるに決まってるじゃん」とか、「興業と裏稼業はつかず離れずだ」とかつぶやいている人たちがいるんですが、全国的に売れてはいないものの各地で有名な芸人さんや放送関係者なんかが自分に割と近いところにいるので、自分としては複雑な気持ちになる。十把一絡げで、そう見られちゃってるんだろうけど、全員がそういう付き合いをしているわけではないし、むしろしている方が少ないんじゃないかな。芸に磨きをかけるため、視聴者に笑いを届けるために頑張ってる人たちが身近にいると、他人事のように「芸人なんてやくざと付き合ってるに決まってるじゃん」と言われることに少し腹が立つ。おっと、愚痴のようなことを書いてしまった。
芸能関係に限らず、会社を興してある程度の規模になったら、そういった人たちはやってくるもんだよ。彼らはお金の匂いのするところにやってくるから。いや、ある程度の規模にならなくったって、やってくる。うちの実家は広島で本屋さんしてたから、来てたんじゃないかな、聞いたことないけど。そういう時に、毅然とした態度を取るのが重要なんだろうね。
だけど、やくざの街とも言われる広島で育った僕は、きっと他の人よりもやくざに対する感覚が鈍いのかもしれない。もちろん、暴力団の存在を積極的に認めたいわけでも関係を持ちたいわけでもないけど、彼らの行動の全てが法に触れるようなことばかりでもなく、拒絶されるべきものばかりではなくいわけだから。本当かどうか知りませんが、阪神淡路大震災の時、そちら方面の方が炊き出しを行ったとか行わなかったとか。我々と同様に消費もすれば、時に法に触れたり触れなかったりしつつも労働もする、利害関係がない人に対しては、よっぽどのことがない限り悪さをしないとも聞きます。被害を受けなければ、見た目にはちょっと怖い人だなぁと思われているだけかも。そういう意味でも、彼らだって社会の構成員なわけです。そんな評判の悪い社会の構成員、ステレオタイプな表現をすると、社会のどの位置にも居場所がなかった、そんな人たちが集まる場所と言われることもある。そう思うと、その人たちの居場所を作れなかった社会にも問題があったんじゃないのか?とも考えてしまうわけです。
でもまぁ、実際に暴力団の被害にあわれた方にしてみたら、存在そのものが許せないんでしょうね。自分がその人の立場になったと想像すると、同じこと思うだろうし。僕のこういう発想も、言ってみればきれいごとなのでしょうなぁ。
有名タレントの引退表明から、とりとめもなく書いてしまいました。




善や悪、主義主張の正当性は、絶対的なものではなく相対的なものなのでしょう。
「必要悪」などという言葉までありますし。。。
そうそう、漫画ワンピースの中に
「正義が勝つのではなく、勝ったものが正義だ」
といった台詞もありました。
「必要悪」という言葉、記事中であえて使わないでおきました。
難しいですよね。現実的に「悪」の部分を消すことは難しいですし、その「悪」に頼る人たちもいる。必要悪を認めるのは、「悪」の部分を消すことをあきらめたからか、その「悪」にすがるときか。社会としては、必要悪を排除する努力をし続けなければいけませんし、鶏が先か卵が先かで言うと、「悪」に頼る人を絶つことによって「悪」を絶つ。この精神が持つことが社会や公的に求められていますし。軍事も一緒ですよね。軍隊の存在を是とする人は、軍事を「必要悪」と言い、非とする人を平和呆けと呼ぶ。物理法則、科学法則を除いて、絶対に正しいと言い切れるものってそんなになくって、とすると「必要悪」という考え方もひょっとしたら許容しなければならないのかもしれない。なんだか、矛盾だらけな概念ですよね。このあたりを論じてきた哲学者って誰なんだろう...。