松本山雅フットボールクラブに所属する元日本代表の松田選手が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。数日前にグラウンドで倒れ、心肺停止状態になられ、意識不明の重体が続いていた上での訃報でした。横浜マリノス時代の松田選手に広島の選手が何度も削られていたのを見て嫌な選手だと腹立たしく思いつつも、日本代表では逆にそのプレイが頼もしかったのを思い出します。
人生、「もし」なんてことは考えても無駄なのですが、それでも「もし」グラウンドにAEDが置いてあればひょっとしたら松田選手は一命を取り留めたかもしれないと思うと悔しいですね。JリーグではAEDの設置が義務づけられているそうですが、松田選手が所属する松本山雅FCはJFLであり、AEDの設置義務がなかったとか。もっとも、経済的な理由で置けないなんてこともチームによってはあるかもしれません。今後、日本サッカー協会としてJFLや下部組織にもAEDの設置を進めていくという動きも出ているようですが、全てのカテゴリーの全ての場所に設置していくのには限界がありますよね。
そう思うと、命はお金で買えないという議論をよく聞くものの、お金で救える命もあるんだなって思わざるをえないですよね。残念ながら医療も介護も結局のところ全てお金。ボランティアの医療も短期なら可能かもしれませんが、長期だと難しい。働いている医療現場の人が生活できるお金が必要だし...。日本経済の先行きが不透明の状態が続いていますが、今の医療介護レベルが維持できているのも日本の経済力があってこそのこと。日本の国力が下がっていけば、救えるはずの命も救えなくなってしまう。きっと、生きていくためには経済活動を維持拡大していかなければならないんでしょうね。「人間がいての経済活動だ、経済活動より人間が優先だ」という意見もありますが、経済活動がなければ人間も生きていけないんですよね。これはどちらが大切というものではなく両輪のようなものなのでしょう。
松田選手の訃報を聞き、なぜ松田選手を救えなかったのか、そんなことからこんなことを考えてしまいました。松田選手のご冥福をお祈りいたします。天国から日本代表の躍進と松本山雅FCのJ2昇格を見守っててくださいね。




見学者の中に看護師さんがいらっしゃったそうで、倒れてすぐに心臓マッサージをやってくださったそうです。
あと、AEDは万能ではないです
AEDを「装着する」適応は、
「心停止」であって、
適切な心肺蘇生法が行っている人員がいる(最低1人は倒れている人から絶対離れない)条件の下、
救急車も既に呼ばれていて、
なおかつ救急車より早くAEDを持ってこれる状態の時
ということになります。これは「装着」する適応であって、「助かる」かどうかは別の問題です。
これらのことから考えると、松田の放出に憤ったマリノスサポーターの流している流布だと考える方がいいんじゃないかと<AEDがあったら松田は助かった。
あぁ、すみません。松田選手の個別事例を前提無く一般化して話してました。心筋梗塞の中でAEDが有効なのは心室細動などの限られた条件下でというのは知っておりました。ですので、AEDがあれば松田選手が助かったのでは?という話にのっかったものではなく、医療と経済のバランスの難しさについて論じたものでした。記事には書きませんでしたが、救急車が速く到着したら?病院が近かったら?というタラレバの話も本当は含めた話なのです。田舎に行けば病院までの距離は遠いですし、都会においても搬送先が見つからないという事象が発生しており、これらの問題は医療とコストのバランスに起因するものだということを考えてみたかったのでした。医療にしても介護にしても我々が支払っている負担している金額以上に社会保障関係費として莫大な予算が割り当てられていますよね。僕も最近知ったのですが、このことを意識している人が案外少ないような気がします。日本って実は低負担高福祉の国であり、これから行き着く先は負担が増すか医療福祉レベルが下がるかのどちらかなんだろうなぁってことを漠然と考えつつ、書いた記事なのです。